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洗濯について 左衛門極真空手修行記(2018/3) |
今日は、空手の練習とは少し違うが「洗濯」について触れておきたいと思う。空手の練習に行くと必ず汗をかく、練習の時に使う道着や、サポーターなどは必ず洗濯する。
最初は、道着から。道着は空手の練習で使わない日はないでしょう(選手クラスで短パン・Tシャツで練習する場合は別)。私は必ず練習が終わったその日に自分で洗濯するようにしている。
皆さん、もしくは皆さんの道場の方で、道着が黄ばんでいたり、黒カビや赤カビが発生している方はいませんか?黒カビは分りやすいですが、赤カビは道着が段々ピンク色に変わっていくものと言っていいでしょう。
毎回、練習が終わって道着を洗濯しているのに道着の白さを保てない方は、道着をすぐに洗濯しないからと思われます。道着は大量の汗を染み込んでいます。そのまま一晩おいておけば、黒カビ菌や赤カビ菌の餌食になること間違いなしです。
赤カビ菌の正体は「酵母」が繁殖したものだそうです。汚れとして目に見えるのが早く、汗をかいたままの湿った道着を放置したり洗濯カゴに入れっぱなしにすると空気中の酵母によって繁殖してしまうのです。そして、きちんと洗っているのに、洗濯のたびにピンク色が濃くなるのは、汚れが十分に落ちていない証拠です。汚れが十分落ちていないと乾くまでの間に酵母が繁殖してピンク色になることがあります。こうなると普通の洗剤ではなかなか落ちないのでこうならないように、その日のうちに私は洗濯します。ですから長年使ってる道着でも白さを保っています。
道着に黒カビや赤カビが発生してしまったときに陥りやすいのが、漂白剤を使って洗濯してしまうことです。左近さんもブログで紹介していますが、塩素系の漂白剤を使ってしまうと「極真会」のロゴの色まで変色してしまいますので注意が必要です。
次に洗濯するものはサポーターでしょうか。毎回練習が終わって洗濯する方もいるでしょうし、全く洗濯しない方もいます。全く洗濯していない方のサポーターは、身に着けただけで独特の酸っぱい臭いが道場に充満してしまいます。周りの方たちの迷惑にもなるので、毎回と言わなくてもきちんと洗濯したほうがいいでしょう。洗濯が出来なくても、家に帰って陰干しくらいはしておくとよいと思います。
最後に帯ですが、黒帯になってからというより茶帯の1級になってからは年に1回から2回ほどしか洗濯しないようになりました。
それまでは道着と一緒に毎回洗濯していましたが、次の新しい帯がもらえるには時間がかかると思ったのと色が落ちるのが嫌だったのでこのようになりました。「黒帯は何色にも染まらない」と言われますが茶帯や黒帯は汚れが目立たないのでこのようにしたともいえます。とはいっても全く洗濯しないわけにはいかないので、夏場の汗を沢山かく時期に洗濯するようにしています。普段は、練習が終わって家に帰ったらすぐに陰干ししています。
繰り返しますが、道着だけは毎回練習が終わったらすぐに洗濯することをお勧めします。いつまでも白い道着を保って日々の練習に取り組みましょう。
押忍。 |
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忘年会や新年会 左衛門極真空手修行記(2018/1) |
皆さんの道場には、忘年会や新年会があるでしょうか?現在、私が在籍している道場は毎年、忘年会を開催している。
道場によって形もさまざまだとは思いますが、私達の道場では居酒屋で1次会、その後、希望者で2次会、3次会と進んでいく。
空手の練習とは全く関係がないと思われる方もいるでしょうが、私はこの飲み会を大切にしている。それはなぜなのかと言えば、普段練習時間が違って会えない先輩や後輩がここには参加して、いろいろな話ができるからだ。さまざまな空手論、人生論を聞くことができる。
私は、もともとお酒が好きな方なのでお酒を飲みながらの交流は全く苦にならない。先輩の中には全くお酒を飲まないのに、毎回参加してくださる方もいる。お酒のあまり飲めない先輩や、酒豪の先輩・後輩もいる。
以前のブログで紹介したが、先輩方の中には地方大会優勝者や全国大会の常連だった方が数人おられる。普段、道場では聞きにくい事でもお酒が入ると口も滑らかになり、いろいろな事を教えてもらえる。大会に挑むときの心と体の調整法やトーナメントを勝ち上がっていく時の心理状態など、経験豊富な先輩たちの話は非常に為になる話ばかりだ。
今回は、一般部を指導している先生や、少年部を指導している先生方達の席の近くに座ることに、そこでどのような事に注意して指導をされておられるのかという話題が中心になった。「極真空手はあくまでも武道なんだから、子供たちには武道精神、つまり日本人としての芯をしっかり持って欲しい。」ということだった。
来年、天皇陛下が退位され、新しい天皇陛下が即位され新しい元号に変わり、新しい時代になっていくという話題にまで話は膨らんでいった。
私は歴史が大好きで、いろんな歴史書を読んできた。私の歴史論を先生方に話したところ「左衛門、おまえ判ってるな!」と何度も褒めていただいた。ここで私は、次の日の仕事の関係もあり、2次会からは遠慮させていただいた。
以前在籍していた道場では、若い後輩が多かったこともあったのだが、忘年会の会場が道場だった。食べ物や、飲み物は自分たちで持ち込んだ。若い道場生が多かったためなのか学生の体育会のような乗りでの飲み会だった。飲んで、道場で寝てしまう者、トイレで吐いている者、さまざまだった。
この時は車で来ていたこともあり、酔いがさめるまで道場の駐車場で車の中で寝て、朝を迎えた。朝、起きて道場をのぞいたら、そのまま寝ていた後輩が3人いたのを覚えている。
こういった忘年会や新年会などの飲み会で、先輩や後輩との交流を深め、仲間としての和を深めながら、みんなで武道としての空手を極めて行きたいと思う。
押忍。 |
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減量 左衛門極真空手修行記(2017/10) |
私はウェートトレーニングを取り入れて、ベンチプレス120kgを目指していることは前から紹介してきたが、今年の8月の後半、ついに1回だけだが挙げることが出来た。
そうだ。目標を達成したのだ。
ところが9月に入り生活の環境が変わり、ウェートトレーニングに取り込む時間が取れなくなってしまった。それどころか空手の練習をする時間も難しくなってしまったのだ。
それでも、せっかく付けたパワーを落としたくないと思い、補強トレーニングだけは続けようと頑張った。
環境が整い、ウェートトレーニングを再開したが、1ヶ月くらいでパワーが全く落ちてしまった。100kgを5回挙げることがやっとという状態まで筋力が落ちてしまった。しかし、補強トレーニングは続けていたおかげで筋持久力はついていたようだ。特に減量を意識したわけではなかったが、体重も5kg程落ちていて減量した形になっていた。
そして、1ヶ月ぶりに空手の道場稽古に復帰した。道場につくと後輩から「左衛門さん、久しぶりですね。少し細くなりました?」と聞かれた。先輩からも「減量したんですか?」などと声をかけられた。
鏡で見た道着姿を自分で見ても、明らかに細くなって見えた。
道場稽古が始まり、基本稽古、移動稽古と進んでいく。この時「あれ?」と自分で思ったことがあった。息が切れないのだ。最後、スパーリングになり、1ヶ月ぶりの練習なのに体が切れていた。もの凄く動けて」いたのだ。練習後、先輩から「久しぶりの練習なのに良く動けてましたね!何かトレーニングしてたんですか?」と言っていただいた。
つまり、体重が5kg落ちたことで体の切れが良くなり、前以上に動ける体に変わっていたということになる。以前から私は75kgで動ける体を目指して練習してきたが現在は70kg。
動ける体を維持したい気持ちは非常に強いし、息が切れない今の状態は非常に心地良いののだ。
その後もウェートトレーニングに取り組んでいるが、体重が落ちているからなのか記録が元のようには戻らない。
年齢を考えてだがこの先、再びパワーを付けるために体重を増やそうか?体重を増やさないで動ける体のままでパワーを付けられないものか考えるところである。せっかく120kgが挙げれるようになったのだからもう一度挙げれるようになりたいという気持ちもある。
やはり、理想は75kgで動ける体だ。もう一度、筋肉を増やし、体重を増やしながらやってみて、自分が一番動ける体を見つけていきたいと思う。
押忍。
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移動稽古 左衛門極真空手修行記(2017/7) |
以前、自主練に相撲の「摺り足」を取り入れたことを紹介させてもらいましたが、その摺り足を意識して、移動稽古に取り組んだ。その事で移動稽古の重要性にを感じたので紹介したいと思います。
実は私が、空手の稽古の中で嫌いな稽古が、「移動稽古」だ。
特に、暑いこの時期は最悪だ。一般の道場では、基本稽古が終わると移動稽古に入ると思う。私の道場もそうだ。
派手ではない地味な動きを何度も繰り返す。
その地味な動きを繰り返す練習が苦手なのだ。
ミットを突いたり、蹴ったりの方が派手な動きだし私は楽しい。
移動稽古は基本の突きや蹴りの攻撃に動作を付けたもので、空手の稽古では基本中の基本だと思う。
その場所にいては突きも蹴りも相手には当たらない。
相手に近付いて行って攻撃しないと当たらないからだ。
その体を移動させて攻撃する基本的な動作を練習する。
10年位前、同じ支部に所属していて、現在は総合格闘技で活躍している某○○選手が現在は古流の空手を修行し、総合格闘技の試合で「一撃KO」の山を築いている。
大会で一度だけ会って少し話したことがあるので注目していた選手でもある。
私から見ると雲の上の存在のような選手だが、どうして総合格闘技の世界で空手の技を使い相手を一撃で倒すことが出来ているのだろうか。
それは、「型」の通りの体の使い方をしているのだという。
「型」の動きを分解したのが移動稽古だと教えてもらった事があるが、それを知ってからは意識を変えて「型」や「移動稽古」に取り組めるようになった。
先ず、移動と言うように体を移動させ、相手に近付き攻撃を当てる訳だが、自分の体重を攻撃部位にいかに乗せ、相手に衝撃を当てれるかが重要だ。
パチンコの玉が早く当たるよりも、ゆっくりでもボーリングの玉が当たった方が破壊力があるとこの選手は説明していた。確かにその通りだ。
そのボーリングの玉を転がすように移動が出来れば相手に衝撃を与えられるという事だ。
つまり、早く動くよりいかに重心を乗せた攻撃を与えられるかが大切という事だ。
更に一撃で倒す極意として、頭を上下させずに移動する事だという。
以前から研究している攻撃の際に頭の位置を動かさず間合いを詰めて行くと相手は間合いが詰った事を察知できず、察知した時はもう既に遅しとなり、反応が少し遅れるという。
人の目が見て、脳が相手の動きを察知するのはフットワークなどの上下運動の方が解りやすいということだ。
重心を乗せると言う事と、頭を上下させずに間合いを詰めるという事を意識して、苦手ではあるが移動稽古に取り組んでいきたい。
体に染み込ませるように日々研鑽、最後は体が反応してくれるまで反復練習あるのみだ。
押忍。
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暑さ対策 左衛門極真空手修行記(2017/6) |
今年も暑い夏の季節がやってきました。
まだ、梅雨明け宣言はされていないが、全国各地で35℃を超える猛暑日になっている地域が増えている。
私がいる地域でも先日、37℃越えの日本一暑い日があった。
そこで注意しなければならないのが、暑さ対策だ。
私が子供も頃は、30℃超えれば真夏日で暑い方だった。
しかし、最近では記録大会の更新記録のように35℃を楽々と超え、最高気温が毎年塗り替えられるような現象が続き、日本全国が熱くなっている。
異常気象が当たり前のようになってきた。
道場について、道着に着替えただけで汗ビショビショになる。
私がいる道場は、鉄骨1階建ての1階部分に道場があり、屋根はトタン屋根のため。屋根も焼けているし、床は岩盤浴が出来そうなくらい温かくなっている。
冷房は無く、大きな扇風機が1台あるだけだ。だから、夕方の練習にも関わらず、着替えただけで汗ビショビショになるのだ。
暑さ対策、特に熱中症にならないように練習が始まる前から水分補給には気を付けている。
のどがかわいていなくても、こまめに水分をとるようにしている。
夏場は特に、スポーツドリンクなどの塩分や糖分を含む飲料は水分の吸収がスムーズにでき、汗で失われた塩分の補給にもつながるので、取り入れている。
私が中学生の頃は野球部に所属していたが、練習中の水分補給は許されていなかった。
7月、8月の炎天下の中での練習でも2〜3時間は水分補給が出来なかった。
その頃は、「根性論」だけだったように思う。
根性も大切だが、今では考えられない。
また、練習だけでなく、普段から、通気性や吸水性の良い寝具を使ったり、エアコンや扇風機を適度に使って睡眠環境を整え、寝ている間の熱中症を防ぐと同時に、日々ぐっすりと眠ることで練習の時間だけでなく、普段から熱中症を予防に心掛けている。
そして、バランスのよい食事やしっかりとした睡眠をとり、丈夫な体づくりを目指している。体調管理をすることで、熱中症にかかりにくい体づくりをすることが大切だと思っている。
特に私は練習に参加できるのは、週1回が多いので、練習に参加できる前日と、練習後は特に気を使っている。
そして練習中は、氷枕(アイスバック)などの冷却グッズを利用している。
ボクシングの中継を見ると、インターバルの時にセコンドが選手のアイシングなどに使っている物だ。
ちなみに、首元や足の付け根など太い血管が体の表面近くを通っているところを冷やすと、効率よく体を冷やすことができる。
私は100円ショップで買ったものに、スーパーの刺身に付いている小さい保冷剤を10個ほど入れて使っている。
練習終盤になると暑さで集中力が切れやすくなってくる。
大体の道場では終盤にスパーリングを行うだろう。
ここで集中力が切れてしまっては、ケガのもとになってしまう。
今は、試合に向けた追い込みを後輩たちが行っているので、お互いにケガしないように切磋琢磨して行きたい。
押忍。
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呼吸 左衛門極真空手修行記(2017/5) |
今年も試合の時期が近づいてきました。
試合に出る小学生の高学年から高校生までのメンバー数人が、少年部の練習する時間帯から、私達の練習する時間帯にシフトしてきた。
私がいる道場は一般部が少なく、壮年層が中心の一般部と少年部に分かれている。
そのため、大きい相手に当たり負けししないためにも子供たちの練習相手に、私達のクラスにシフトしてきたのである。
黄色帯から緑帯、茶帯のメンバーが練習に参加してきた。小さい子から高校生の大きな子まで、男の子も女の子もいる多種多様なメンバーだ。
メンバーが増えると楽しみなのが、スパーリングである。
子供達とはいえ、上級者クラスになると侮れない。色々なタイプの組み手スタイルがあり、すごく参考になる事が多い。
中学生、高校生になると私達よりも大きい子もいる。
ただし、体が出来上がっていないため、骨が柔らかいように感じる。だから、ケガをさせないように注意も必要になる。
基本稽古や、移動稽古。ミット稽古やサンドバックを使ってのコンビネーションの稽古が終わると、スパーリングに入る。
最初は約束組み手が中心で、パンチのみ、パンチと回し蹴り、技を全部使ってのスパーリングへと移っていく。
私が最近、取り組んでいるのはスタミナ切れしない組手。
これは、あまり動かずに体力を温存するという意味ではない。
いかに呼吸を乱さずに動くかという事だ。
私が、1級に挑戦したときに6人組手を行った。
対戦相手は全員黒帯で、地方大会で実績を残した方や、全日本大会に出場しているような猛者が相手だった。
緊張もあったが、格上相手に対し、ペース配分をする余裕など全くなくスタミナ切れで最後はサンドバック状態だった。
練習では息を上げる練習もしていたが本番では通用しなかった。
この時の反省をその後行った。なぜなのか・・・?
答えは、攻撃するときも、相手の技を受けている時も、息を吐き続けていたという事だ。
息を吸えない。
息を吸ってないからスタミナが消耗して回復でいない。
だから、スタミナ切れになってしまったのだ。
それ以来、昇段審査の練習の時もいかに息を吸うタイミングを作り、スタミナ切れを起こさないようにするかを意識して練習した。
お互いの技の攻防の時間は数秒間だ。
いくつかのコンビネーションをつないで攻撃するが、10秒以上攻撃を続ける相手はそうそういない。
技を出す時も、受ける時も息を吐いている。
吸っていては攻撃できないし、技をもらったら効いてしまう。
充分とは言えないが相手と離れる瞬間に間合いを取りながら息を吸う事が出来るようになってきたのだ。
その効果もあり、昇段審査の10人組み手では、息を切らすこと無く戦う事が出来た。
今回、練習している子供たちはスタミナが無尽蔵にある。
さすがだと思う。
しかし、組手、ましてや試合となると緊張で息が上がってしまこともある。
実際に、中学生で緑帯の子はスパーリング中に膝に手を付けて呼吸しなくてはならないほど消耗してしまう。
だから、呼吸の大切さをアドバイスしていく。
年齢の事もあり、自分が試合に出る事はないが、この後輩たちに一つでも勝ち上がってもらいたい。
一緒に精進しようと思う。
押忍。
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ウェイトトレーニング 左衛門極真空手修行記(2017/4) |
先々月ウェートトレーニングについて触れてきましたが、今回は私の1週間のトレーニングスケジュールを紹介します。
前にも触れたが、トレーニングはジムに通うのではなく、自宅中心で行っている。
仕事の関係で空手の道場に行けるのは週に1回だ。
その週に1回の道場稽古を中心に自宅でのトレーニングを考えている。
ただし、仕事の関係で全く時間がとれない時もある。その時は、完全休養にしている。
まず、道場稽古の翌日はベンチプレスやフロントプレス・バックプレスなどの「上半身の押す力」のトレーニングを低重量(体重の8割)で高回数(今は40回)行う。
年齢を考えて、道場稽古の疲れも残っている場合もあるため、軽めに行っている。
ただし、道場稽古の後の自主トレで拳立てなどの補強をした場合はこの日は体を休める日にあてている。
休養もトレーニングだからだ。
その翌日は、ジャンピングスクワットを行い、「下半身」を鍛えている。
そして、家の前の公園でダッシュを数本行う。
雨が降った時などは、軽めのバーベルスクワットを行う。
そして、腹筋・背筋の体幹部も鍛える。
次の日は、ベントオーバーローイングやバーベルカールなどの「上半身の引く力」を高重量で少回数行う。
この日は、体に疲れも残っていないため、かなり体に負荷をかけている。
この3日間で、上半身の押す力、下半身、上半身の引く力、体幹部を一回り行っている。
そして二回り目入る次の日は、ベンチプレスやフロントプレス・バックプレスなどの「上半身の押す力」のトレーニングを高重量で行っている。
この時に前に触れたように、120kgに挑戦している。
現在は115kgまで記録を伸ばすことが出来た。
次の日は「下半身」のトレーニングをローテーション通り行う。
高重量で行いたいところだが、機材が無い為、ジャンピングスクワットや、四股踏みなどでじっくりと負荷をかけている。
そしてローテーション最後の日は、ベントオーバーローイングやバーベルカールなどの「上半身の引く力」を低重量で高回数行い、腹筋・背筋の体幹部も鍛える。
こうやって1週間、空手の練習を中心に高負荷や低負荷のトレーニングをローテーションで行うようにしている。
あくまでも空手に使える体作りを目指している。
道場稽古に週に2回以上行ければ良いのだが、稽古に行けない分をウェートトレーニングで補うようにしている。
あくまでも全身をまんべんなく動かしたいと思っている。
そして何よりも大切なのは、トレーニングを行った後は1時間以内に食事を摂って栄養補給をするようにしている。
特に、高負荷をかけたトレーニングの後は大切にしている。
私が好きなメニューは「ちゃんこ鍋」だ。
鳥肉を中心に野菜をたくさん入れてバランスよく栄養を補給している。
ベンチプレスで記録が伸び悩んだ時に、これで記録が伸び始めたのを覚えている。
職場などで、「左衛門さん年齢より若いですよね。」と言われることがあるが、日々の小さな積み重ねが、若い体を維持していると思う。
これからもがんばります。
押忍。
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黒澤浩樹館長 左衛門極真空手修行記(2017/3) |
先月の3月25日、聖心館空手道黒澤浩樹館長が急性心不全のため、他界されました。
心よりご冥福をお祈り致します。
私が最初(高校生の頃)、極真空手を始めた時、第16回全日本大会で優勝したのが、黒澤館長でした。
当時は現在のようなインターネットも普及していない時代でしたので、当時の機関紙「パワー空手」で名前を知り、映画「キョクシン」で試合風景を見て、衝撃が走ったのを今でも覚えている。
孤高のサムライ、格闘マシーンそのものだった。
全日本大会初出場で史上最年少優勝の大偉業である。
極真空手に再入門した頃(30代最初)より、ウェートトレーニングを行っている事は前回触れたが、そこに大きな影響を与えたのも、黒澤館長の存在が大きかった。
再入門のきっかけになったのは、第6回世界大会をテレビ放送で見たことだった。
高校生当時、全日本チャンピオンだった黒澤館長が、今もなお現役で活躍しておられた事が嬉しかった。
極真会館が分裂し、新しく機関紙になった「ワールド空手」や、他の格闘技雑誌等に黒澤館長の記事があれば片っぱしから読んだ、黒澤館長のビデオや、世界大会前後のビデオも買って食い入るように見た。
東京で仕事の用事があった時には、城西中野支部に見学にも行ったこともある。
正確には、再入門する少し前から、ウェートトレーニングを始めていたが、黒澤館長がウェートトレーニングを行っている事知って、俄然やる気になった。
当時黒澤館長はベンチプレスで200kg、スクワットで300kgを挙げていた。正直「バケモン」だと思った。
それでも少しでも近づきたい思いで頑張ってきた。
第16回全日本大会から第6回世界大会までの、下段回し蹴りを中心に闘っている試合のビデオは何百回も見て研究した。
私は、背も低く足も短い。
上段回し蹴りも練習してはいるが、黒澤館長の下段回し蹴りで相手を倒すスタイルが好きだったから、自分が試合をする時は、こういう倒し方がしたいと思って何度も練習した。
数少ない試合経験の中で、一本勝ちは一度もなかったが、下段回し蹴りで相手を苦しめる事は出来たと思っている。試合前のイメージトレーニングは、黒澤館長の試合のビデオを見る事だった。
その黒澤館長が、極真空手を離れ「黒澤道場」を作られた時は残念だったが仕方がない事だったと思った。
また、PRIDE1で膝を怪我された時は、元のように怪我が治り強い蹴りを蹴れるようになるように復活を願った。
その後、PRIDE6での角田師範との復帰戦には、目頭が熱くなった。
黒澤館長は、「Be Humble」という言葉を座右の銘にしていた筈だ。
「謙虚であれ」とか「謙虚でありたい」という意味だと思う。
黒澤館長程の実力があっても、己の名声に慢心することなくありたいという事だろう。
「聖心館」という名前も、高い志を持って空手を普及させて行きたいという思いからのネーミングだと思う。
私も志を高く持って頑張っている。
最後に、黒澤館長ありがとうございました。
押忍。
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120kgを目指す 左衛門極真空手修行記(2017/2) |
私は極真空手に再入門した頃(30代最初)より、ウェートトレーニングを行っています。
とは言っても、ジムに通った事は一度もなく自分なりに行っている。
極真空手の道場の先輩や、柔道経験者の同僚などに教えてもらったくらいだ。
去年の夏、インターネットで調べていたところ、「ベンチプレス100kgは筋トレしている者の中では中級者である」という記事に一念発起して、ベンチプレス120kgを目標にすることにした。
極真空手を行っている方たちの中でも、ウェートトレーニングを行っている方もいれば、拳立てなどの補強だけで大丈夫と言う方もいる。
私の場合は背も低く、背の大きな相手に対して力負けしたくないので、再入門の時よりウェートトレーニングを行っている。
以前、フジテレビの朝の放送で「ベンチプレス100kgを挙げれる人を探せ」という企画があった。
インターネットの情報では、ベンチプレス100kgを挙げれる人は日本人男性の100人に一人ということだったが、テレビ放送の中でもなかなか挙げれるものはいなかった。
最後の方で、高校生の柔道部の生徒が挙げていた。
やはり、100人に一人なのかと思った。
私がウェートトレーニングを始めた当初の頃は、70kgを挙げる事が出来なかった。
柔道を経験していた同僚は100kgを軽く挙げており、馬鹿にされたものだ。
当時はインターネットの情報も少なく、本を読んで自分なりに研究もした。
当時の体重は70kg位で、自分の体重の重さまでは順調に記録も伸びたが、体重を超えるころからがきつかった。
私の方法は、最大で1回挙げられる重さがあると、それを5回挙げられるようになるまで記録を伸ばし、そして2.5kgずつ重さを上げ、また5回挙げられるようになると2.5kg上げという具合で、4年くらいで100kgを挙げられるようになった。
きちんとしたジムで教えてもらっていればもっと早く100kgを挙げれるようになっていたかもしれない。
今でも、自分なりに練習しており、100kを10回は挙げる事が出来る。
補助してもらえる環境ではないため、危険を考えて重さを上げずに今までやってきた。
前述したとおり、「ベンチプレス100kgは筋トレしている者の中では中級者である」という記事に一念発起して、120kgを目指して去年の夏より2.5kgずつ重さを上げ、今は110kgを挙げられるようになった。
しかし、110kgになると「調子が悪いなぁ〜」と言うときはピクリとも挙げる事が出来ない。
「ここが限界なのかな」と思うときもある。
以前のように、まずは5回挙げられるようになって重さを上げようと思う。
今は3回までは挙げられる。
重たい重量を挙げる事が出来れば、空手が強くなる訳ではないが、相手に与える圧力は変わってくる。
また、この年になると体も段々硬くなってくる。
ウェートトレーニング以上にストレッチが大切になる事も承知している。
実際、いろんな部位が硬くなってきている。
もともと体が硬かった。
パワーを付けながら、柔軟性もアップさせオールマイティーに動けるように体作りをしていきたい。
押忍。
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昔の仲間たち 左衛門極真空手修行記(2017/1) |
私は転勤族で、いくつもの道場を渡り歩いてきましたが、その関係で日本全国のいろいろな道場で共に汗を流してきた仲間がいます(自分で仲間だと勝手に思っている)。
先日、15年前に所属していた支部のホームページを見たら、当時青帯だった後輩が昇段審査を受けている写真が紹介されていた。
確か、私が緑帯から茶帯に昇級したときにオレンジ帯から青帯に昇級したはず。
その後輩が、空手を続けていたことも嬉しかったが、無事に昇段審査を受けていたことが嬉しくもあり、対戦相手を務めた仲間も懐かしいメンバーだった事がさらに嬉しく、懐かしい想いが蘇ってきた。
その当時、私は30代になったばかり。
格闘技ブームだった時期でもあり、毎週のように多くの入門者や見学者がいた時期だった。
その時期だと50人入門して20人が青帯まで残り、その中の5人くらいが緑帯まで残るくらいだったか。
茶帯まで残るのは1人か2人だったと思う。
私の記憶によるとその当時、ヤンキーや元ヤンキーで、ケンカが自慢と言う入門者もいた。
しかし、基本稽古だけで吐きそうになっていた。
煙草を吸ったり不摂生な生活をしてきた訳だから当然だろう。
移動稽古やミット稽古までついて来れない。
スパーリングになるとどんなにケンカが強くても青帯の連中にボコボコにされていた。
緑帯には手も足も出せなかった。
極真空手の道場とはこういうものだろう。
そんな中で、今もなお空手を続けていて、今回黒帯に挑戦した後輩がいる事が嬉しく思う。
私も黒帯になるまでは仕事の関係もあって日曜日に休みがとれず、審査を受ける機会が無く時間がかかった。
ホームページやワールド空手を見ていると、後輩だった者の方が先に黒帯になった場合もある。
また、なかには二段まで昇段した者もいる。自分なりの焦りや、苛立ちがなかったかと言えば嘘になる。
また、他の支部では、私が茶帯(2級)の時に入門してきた後輩がいた。
同じ県内で転勤となり、別の道場に移籍した。
4年ほどが過ぎて、息子が県大会(この日の大会は祝日だった)に出場した時に試合会場で、茶帯(1級)になっていたその後輩に「押忍、久しぶりです」と挨拶された。
道着姿で現れた後輩は試合に出場するようだった。
「今日は、息子のセコンドで来ました。頑張って下さい」と声を掛けたが、私は2級のままだった。
この日は、以前の道場で共に切磋琢磨してきた同じ茶帯だった仲間が、黒帯になった姿で大会に出ており、一般部の軽量級で優勝した。
黒帯になった姿も、優勝した姿も嬉しさもあったが、自分だけ取り残されているような複雑な思いがあった。
一緒に厳しい練習をしてきた仲間だけに、そこに自分の姿を重ねたりもした。
自分が大会に出たなら、この仲間のように優勝したいとも思った。
しかし、全国各地に共に汗を流した仲間がいて、頑張っている情報が入ってくることは自分の励みになる。
いつの日か何かの機会で、また共に汗を流せることがあれば嬉しく思う。
昔の仲間に刺激され頑張ろうと思った日だった。
押忍。
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